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2019年11月23日 (土)

パラオには、太平洋戦争の傷跡が残っています

太平洋戦争の末期、大日本帝国陸軍と米軍の海兵隊が、激しい戦闘をパラオで繰り広げました。その戦場はペリリュー島でした。コロール島は町が火の海となるような激しい壊滅的な爆撃を受けました。このたびの私のパラオ訪問の目的の一つは、真珠湾攻撃から70周年になった今日、大東亜戦争の傷跡を見る事でした。
 
下の写真は、コロール島の片隅に放置されたままの大日本帝国陸軍の戦車の残骸です。此処を訪れる人は少なく、小さな森の片隅に、その残骸が放置されていました。
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この大日本帝国陸軍の戦車残骸について、その存在の場所を知る人は、いまや限られています。多くのパラオ人に聞きましたが、場所を教えてくれる人はいませんでした。政府機関に勤務しているミスター・カイポと偶然の機会で知り合いになり、彼の案内で、その戦車残骸の在り処にたどり着きました。↑の写真は、残骸戦車の前に立つミスター・カイポです。そして、↓の写真は、諸国放浪の男児・筆者です。
 
 
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 パラオ国の外交
*2003年現在、日本や中華民国、アメリカを含む29ヶ国と外交関係を樹立しているが、その中でも旧統治国である日本やアメリカとの関係を重視している。中華民国を国家承認しているため中華人民共和国とは国交がない。
*1996年に崩落したKBブリッジの再建を始めとした多くの援助が日本によってなされているなど、パラオと日本の関係は信託統治時代以降も深い。
*三重県はナカムラ元大統領の父が三重県伊勢市の出身であった縁で、1996年以降友好提携関係にある。また旧首都コロールは現在東京都と姉妹都市になるべく交渉中である。
*コロール島の旧官幣大社南洋神社やペリリュー島のペリリュー神社(南興神社)、アンガウル神社が、1980年代以降に日本からの資金により再建された。また、日本からの遺骨収集団や慰霊団も度々訪れている。
*現在でも日本や日本語に親しみを持ち、子供に日本風の名前をつけるパラオ人も多い。パラオ語には多くの日本語の言葉が取り入れられており、また、パラオにある唯一の公立高校では、1964年から選択科目として日本語を取り入れている。さらに、アンガウル州では州の公用語の一つとして採用されている。
*6代大統領のトミー・レメンゲサウは、2005年7月の来日前に行われた会見で当時の小泉首相の靖国神社参拝について「すべての人のために祈るのは正しいことだ」と支持を表明した。また、第5代大統領クニオ・ナカムラの代理人が靖国神社に参拝した。
一方でクニオ・ナカムラは「南洋」という言葉が旧植民地宗主国の主観に基づくものとして「われわれの国々を“南太平洋”と呼ぶのもけっして適当とはいえない。“太平洋諸国”といってほしい。“南”は不用です」と発言している[1]。なお、パラオは北半球に位置する。

パラオ国のコロール島を、ぶらりぶらり歩いていたら、大きな岩が一つポツンと置かれていました。日本の御地蔵様のような神聖で霊的なものを感じとりました。
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下の写真は、私が4泊したパラオ・ホテルです。経営者は台湾人でしたが、ビルの所有者は、日系パラオ人のアサヌマさんだと聞きました。
このホテルに宿泊するに当たっては、日本のJTB旅行社を通じて予約しました。宿泊料は、1泊(食事なし)4600円をJTBに支払いました。
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