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2019年11月30日 (土)

ベネズエラ国の国会議事堂付近でデモ隊の集会を見物する。

 

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**デモ隊は、国会議事堂に隣りあわせの、
ボリーバル広場で喚声を上げていました。
(1999年11月19日、金曜日に撮影)
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ベネズエラ国の内政(日本国外務省発表):
ベネズエラでは1958年以降、二大政党による民主的な政治体制が継続してきた。
しかし、これら二大政党は、国内の貧困問題に対して効果的な政策を
実施してこなかったことから、低所得者層を中心に国民の不満が高まっていた。
1999年2月、低所得者層の高い支持を得てチャベス大統領が就任し、
同大統領は国内の貧困及び犯罪増加は過去40年間の二大政党幹部による
政治、司法の私物化、汚職が原因であるとして、
新憲法制定を始めとする抜本的な政治改革を実行した。
2000年7月には新憲法の下、大統領、国会議員、州知事等選挙を実施し、
チャベス大統領が再選された。
 チャベス政権の発足当初は、反政府勢力や伝統的支配層の抵抗から、
チャベス大統領の改革は思うように進まず、2002年4月には一時暫定政権が発足すると
いう政変劇が発生し、また、その年の12月には2ヶ月に及ぶ大統領の罷免を求める
ゼネストが発生するなど政情は不安定であった。
しかし、同ゼネスト後、政府はベネズエラ石油公社(PDVSA)を掌握し、
経済活動に対する国家管理が進んだ。
その後、チャベス大統領は徐々に自らの支持基盤を整え、貧困層に対する支援活動を
推進し、国民の高い支持を受けて2004年には大統領罷免国民投票で留任を勝ち取った。

2005年12月の国会議員選挙においては、追いつめられた野党側が選挙直前に候補者を
取り下げて選挙の正当性を否定し、反政府世論の再燃を狙ったが、
結果的に国会議席を失い、国会は与党が議席を独占することとなった。
さらに2006年12月の大統領選挙では、チャベス大統領が国民の圧倒的な支持を得て
再選された。現在、チャべス大統領は「21世紀の社会主義」建設を標榜しつつ
現体制の強化を進めており、その具体化のため、大統領の任期延長と再選制限の
撤廃等を盛り込んだ憲法改正案を国会に提出。
2007年12月には憲法改正国民投票が行われたが、僅差にて否決された。

 

 

 

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***黄金のドームに輝く国会議事堂前で、
デモを繰り広げていた連中は、
議事堂近くのボリーバル広場で、更なる集会を開いて、
喚声をあげていました。
公園の中に鎮座する銅像は、南米解放の父、ボリーバルです。

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ボリーバル広場は、
ベネズエラの歴史を知る上で、ここは欠かすことの出来ない広場です。
かって、スペインからの独立を叫んで囚われた人々が処刑されたのも、
最初のベネズエラ憲法が読み上げられたのも、この広場でした。

ボリーバル広場は、
町の精神的中心としての役割をはたし、セレモニーやデモなどの会場として、
使われています。
この広場のボリーバルの像が建てられたのは、1874年のことでした。

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ベネズエラの資源

 べネズエラは、世界有数の石油産出国であり、同国経済は石油収入に大きく依存している。石油の確認可採埋蔵量は797億バレル(2006年末)と世界第6位を誇り、西半球における最大の産油国である。またオリノコ川北岸には超重質油(オリノコタール)が存在し、それが可採埋蔵量に認められた場合、埋蔵量は世界一のサウジアラビアを凌駕する3000億バレルに達するとも言われる。さらに天然ガスの確認埋蔵量は4.3兆立方メートル(2006年)と世界第9位で、この他にも鉄鉱石、ボーキサイト、金、ダイヤモンド等を豊富に産出する。

(2)最近の動き

 チャベス大統領は、2001年11月以降、炭化水素法、土地及び農村開発法など、国家経済の根幹に関わる49の法律を制定して改革を推し進めた。これに対し民間部門は強硬に反対し、2001年12月の12時間ゼネスト、2002年4月の政変(クーデター騒ぎ)、同年12月のチャベス大統領の罷免を求めた2ヶ月に及ぶ大規模ゼネスト等が相次いで発生。その結果、2002年の経済実績は大幅に悪化した。その後は、石油価格の高騰に後押しされる形で、ベネズエラ経済は回復。2006年の成長率は、石油部門が石油生産の伸び悩みから-1.9%となったが、非石油部門が11.7%成長した結果、全体で10.3%の成長を記録。2006年1月には、チャべス大統領が「オリノコベルト超重質油プロジェクトを国家の財産とすべき」と発言、具体的には同プロジェクトに進出する各合弁企業におけるベネズエラ国営石油公社(PDVSA)の出資比率を60%以上に引き上げるなど、天然資源の国家管理の強化を推進している。

 

 

 

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*写真は、ベネズエラ国会議事堂を警備する警官です。
自動小銃を右手に持ちながら、私・吉川の行動を見ていました。

ベネズエラ国会議事堂は、黄金のドーム屋根を持つ壮麗な白亜の殿堂でした。
ボリーバル広場の南西にあり、建物の密集する市街地にありました。
此の議事堂は、1872年に建てられたものです。

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1999年11月18日、木曜日
サンパウロのグアルーリョス空港から、ベネズエラの首都カラカスへ行く。
約6時間の飛行時間を経て、夜遅く、シモン・ボリーバル空港に到着した。
シャトルバスに乗った。バスの中で、怪しい奴がスペイン語で
話しかけてきたが、いい加減な生返事をしておいた。
カラカス市内へ向かうバスの中から、暗い山腹を見た。
丘の斜面に広がっている貧民街(ランチョ)に、電灯が寂しく点在していた。
バスは、中央公園近くのバスターミナルに着いた。
タクシーに乗って、ホテル・エル・コンドルに宿を決めた。
1泊45ドルだった。部屋は広いスイートルームだった。
治安の悪いベネズエラの一人旅は、非常に緊張した。

11月19日、金曜日
朝6時に目が覚めた。外は暗かった。
ホテルの近くのバル(安い食堂)で朝食を摂った。
街の中心・セントロへ地下鉄に乗って行った。
国会議事堂前では、数百人のデモ隊が喚声をあげていた。
警官達が国会議事堂を取り巻いて警戒・警護に当っていた。
更に、デモ隊の流れは、ボリーバル広場へ移って、喚声を上げていた。

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ベネズエラ・ボリバル共和国。
ベネスエラ(Venezuela)という名の由来には諸説があり、
一つはイタリアのヴェネツィアに由来するというものである。
1499年この地を訪れたスペイン人の探検者、アロンソ・デ・オヘダと
アメリゴ・ヴェスプッチが、マラカイボ湖畔のグアヒーラ半島に並び建つ
インディヘナたちの水上村落を、水の都ヴェネツィアに見立て
イタリア語で「ちっぽけなヴェネツィア」("Venezuola")と命名した事に
よるとされている。

なお、国名中の「ボリバル」とは、
ラテンアメリカの解放者 シモン・ボリーバルのことである。

 

 

 

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*写真の油彩画は、リオ・デ・ジャネイロの絶景を、
コルコバードの丘から、描いたものです。
キャンバスの手前に、ビルが林立した市街、美しい港湾を描き、
キャンバス画面の中心に、奇岩のポン・ジ・アスーカルを描きました。

 

 

 

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上・下段の写真は、コルコバードの丘に建つキリスト像ですが、
小雨の霧に包まれていました。

コルコバードの丘は、海抜710mあります。
この丘に建つキリスト像は、リオ観光の目玉であり、シンボルです。
私達二人が訪れたときは、キリスト像は、霧に包まれていました。

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