« パラオには、太平洋戦争の傷跡が残っています | トップページ | パラオ国は、歩いて、見て、食べて、楽しむ楽園です。 »

2019年11月23日 (土)

パラオの自然と文化、老人たちの楽しみを見る

コロール島には、日本統治時代の1935年には、25,000人の日本人が住んでいました。2006年、首都がコロールからバベルダオブ島(本島)のマルキョク州に移るまで、コロールは、パラオの首都でした。
 
下の写真の建物は、コロール州のシビック・センター(公民館)です。
イメージ 1
 
 
下の建物は、シビック・センターの前にあるバイ(集会所)です。
イメージ 2
 


 


パラオ国は、1994年10月1日に、アメリカとの自由連合国として独立しました。コロール島は、パラオ国の総人口約2万人のうち約7割が居住している共和国の中心地です。
 
下の写真の建物は、コロール島中心部の繁華街にあるスーパーマーケット「ネコ・プラザ」です。バイ(パラオの集会所)の三角屋根、バイ風の玄関口が印象的です。
イメージ 1
 
 
下の写真は、警察署に隣接した駐車場に並んだパトカーの群れです。
イメージ 2

 




パラオ国の年金暮らしの老人たちの姿を見るために、シニア・シチズン・センターを訪ねて見ました。下の写真は、コロール島の西北部にあるシニア・シチズン・センターの建物です。
イメージ 1
 
 
シニア・シチズン・センターの中に入って、老人たちと話し合って見ました。女性が多く、彼女たちは、日本の花札ゲームを楽しんでいました。
明るく屈託のない笑顔を観て、とても幸せそうでした。日本語で、私に話しかけてくれました。日本人の私を歓迎してくれました。
イメージ 2
 
 
 
イメージ 3
 
 
イメージ 4
 
 
イメージ 5
 
 
 
下の写真の老人は、日本語は上手ではありませんでした。 
 
イメージ 6
 
 
 
下の写真の女性は、木の葉を使って編み物をしていました。 
イメージ 7
 
ほとんどの老人が、簡単な日本語を話す事ができますが、
上の写真で、左側にいる女性は、特に日本語が達者でした。
彼女から、日本統治時代(1914~1945)の事を聞きました。
そして、太平洋戦争中の出来事や人々の生活ぶりを聞きました。
 
 
 


 





パラオ国に住む人々の民家を訪ねました。下の写真は、コロール島の西北部で見た住居です。
イメージ 1
 
 
イメージ 2



 





パラオ国は、小さな島国です。人口は約20,000と言われています。
私は、この国の自然を観ながら、人間の建造物を観ながら、人々と接しながら、歩いて、歩いて、歩き廻りました。黙々と歩きながら、見聞したものをカメラに納めました。
 
下の写真は、コロール島の西北部で見たマングロープの林です。
イメージ 1
 
イメージ 2
 
下の写真は、コロール島とアラカベサン島を結ぶ道路です。サンゴ礁の浅瀬に埋め立てて建設されました。向かいがアラカベサン島です。
イメージ 3
 
下の写真は、アラカベサン島です。白く大きな建造物はホテルです。
イメージ 4

« パラオには、太平洋戦争の傷跡が残っています | トップページ | パラオ国は、歩いて、見て、食べて、楽しむ楽園です。 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« パラオには、太平洋戦争の傷跡が残っています | トップページ | パラオ国は、歩いて、見て、食べて、楽しむ楽園です。 »