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2019年11月30日 (土)

パラグアイ国を歩く。小さな独立国だった。

 

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*上・中段・下段の写真は、首都アスンシオンの市街です。

*下段の写真は、なんという建物か聞き忘れましたが、
鉄道ターミナルではないかと想います。
バスが主要の交通手段のパラグアイ国に鉄道列車が動いているかな?

=パラグアイの治安と対策
1989年2月の政変以降、政治の民主化・自由化が進められていますが、
これと同時に治安上の緩みがでており、また、最近の不況を反映して、
泥棒、空き巣、盗難、さらには凶悪犯罪による強盗や暴行も増加し、
邦人に対する犯罪も増えていますので、油断は禁物です。

・在留邦人=在留邦人(永住者含む)3,631人(2006年)
 移住者・日系人 約7,000人

・要人の来パラグアイ
 年月 要人名
1978年 皇太子同妃両殿下、二階堂進衆議院議員・日パ協会会長
1983年 中尾栄一衆議院議員(大統領就任式特派大使)
1986年 常陸宮同妃両殿下
1990年 土屋参議院議長
1991年 鈴木外務政務次官
1993年 二階堂衆議院議員(大統領就任式特派大使)
1996年 小川外務政務次官、相沢英之衆議院議員
1997年 岡野労働大臣
1998年 有馬政府代表(大統領就任式特派大使)
1999年 高円宮同妃両殿下(非公式)
2001年 植竹外務副大臣
2003年 河本英典参議院議員(大統領就任式特派大使)
2004年 小野寺五典外務大臣政務官
2005年 福島啓史郎外務大臣政務官
2005年 保坂三蔵経済産業副大臣
2005年 河村建夫衆議院議員(日パ友好議連会長)
2006年 玉澤徳一郎衆議院議員、宮腰光寛農林水産副大臣、扇参議院議長、山中外務大臣政務官(移住70周年記念祭典出席)、秋篠宮殿下
2007年 山際大志郎衆議院議員、井上信治衆議院議員

 

 

 

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*上段の写真は、パラグアイ国の大統領官邸です。
19世紀後半、フランス留学の経験ある大統領、フランシスコ・ソラノ・ロペスが
パリのルーブル美術館を模して建てたといわれています。

*下段の写真は、パラグアイ川の河畔で見た、廃船です。
この廃船を、大統領官邸近くで見ました。
政府の建物のウラには、みすぼらしい風景がありました。

= パラグアイ国の内政
 1954年から35年に亘ったストロエスネル軍事独裁政権では、政治・経済の安定を達成する一方、厳しい抑圧体制が敷かれた。同政権は1989年2月、ロドリゲス将軍のクーデターにより倒壊。ロドリゲス政権は、「民主化と人権尊重」を掲げ、政治活動・言論の自由、労働者の団結権等を保証する新憲法を1992年に公布。

 1993年8月、同国で初めての民主的選挙により文民大統領に就任したワスモシ大統領は人権の尊重、司法権刷新、憲法順守等、民主化定着の観点から政治的には成果を上げ、特に軍の政治・経済・社会的影響力を大きく後退させたが、失業者の増加、貧富の差の拡大等、社会経済面では成果に乏しかった。

 1998年8月に就任したクーバス大統領は、信頼できる司法制度の確立、経済活性化、犯罪撲滅等を掲げ、民主主義強化への積極的姿勢を見せたが、オビエド将軍の釈放措置を巡り、国会、最高裁と対立、国会における重要法案の審議が停滞し、大統領弾劾の動きが出る中、1999年3月、アルガーニャ副大統領が暗殺され、その後の混乱の責任をとり、クーバス大統領は辞任。憲法規定に則り、翌日ゴンサレス上院議長が新大統領に就任。就任後、汚職容疑により、下院は同大統領の罷免を議決したが、2003年2月に上院が否決したことにより事態は終息した。同年4月27日、大統領選挙が実施され、ドゥアルテ与党国民共和協会(ANR:通称コロラド党)党首が選出された。
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私の日記:1999年10月30日、土曜日
市内バスで、町の中心地に行った。バスの乗客は、二人だけだった。
バスの運転手が、街に不案内の私達二人の日本人にスペイン語で、
街のガイドをしてくれた。バスは、決まったコースを外れていた。

英雄広場では「土曜の市」が開かれていた。
大規模の市場「メルカド4」へ行った。
霊廟、大統領官邸などを見て、パラグアイ川を散策した。

 

 

 

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*写真は、パラグアイ国の首都アスンシオンにある霊廟です。
パリのアンバリッド(ナポレオンの墓がある)を模して造られた
ドーム型の霊廟です。英雄広場の一角にありました。

初代大統領のカルロス・アントニオ・ロペスと
その息子のフランシスコ・ソラノ・ロペスほか、戦争の英雄たちが
祀られていました。入り口には、パラグアイ軍の正装をした衛兵が
警備していました。

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国名:パラグアイ共和国(Republic of Paraguay)2008年2月現在
一般事情:(1)面積=40万6,752平方キロメートル(日本の約1.1倍)
(2)人口=600万人(2006年 世銀)(3)首都=アスンシオン(人口約50万人)
(4)民族=混血(白人と先住民)97%、欧州系2%、その他1%
(5)言語=スペイン語、グァラニー語(ともに公用語)
(6)宗教=主にカトリック(信教の自由は憲法で保障)

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1999年10月29日、金曜日
パラグアイ国の首都アスンシオンでは、「ホテル内山田」に投宿した。
この宿は、東洋人のみを宿泊させる日本人経営のホテルでした。
夜は、ホテル併設のレストランで、てんぷら定食を食べたが、
実に美味しかった。

 

 

 

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*写真は、ブラジル国から、パラグアイ国の首都へ向かう国際バスで、
途中の休憩時に、パラグアイのバス停で、出遭った物売りのおじさんです。

左手を失った人にカメラを向けるのを躊躇しました。
一袋の果物を買ってあげました。
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1999年10月29日、金曜日
2日間の「イグアスの滝」見物を終えて、今日は、パラグアイ国へバスで移動した。
ブラジル国からパラグアイ国へ、徒歩で、国境を通過するときに、
ブラジル出国管理事務所で、自分のパスポートに、出国スタンプを押して貰わずに、
パラグアイ国の入国管理事務所に行ったら、入国許可が下りなかった。

やむをえず、再び、国境のパラナ川にかかるアミスタッド橋を歩いて渡った。
ブラジル側の国境管理事務所で、出国スタンプを押して貰ったが、暑さの中、
重いリュックを背負って、国境の長い鉄橋を一往復したので、ひどく疲れた。

パラグアイの国境の町、ショウダー・デル・エステの町は、闇マーケットが
広がっていた。数百軒の店が並ぶ広大なマーケットだった。しかも、貧しい
異様な雰囲気の商業市場だった。国民所得の低さが分かる町だった。

この町に留まることに躊躇した。バス・ターミナルで考えた末に、
一気に、パラグアイの首都アスンシオンへ向かう国際バスに乗車した。
(続く)

 

 

 

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轟きとともに溢れ出る果てしない怒涛。
天地創造を思わせる自然の驚異は、
見るものを魅了してやまない。
水爆の中を、今日も、世界から観光客がやって来る。

*上段の写真は、イグアスの滝です。
ブラジル側の滝を、まじかに、見物しました。
滝の轟音で、会話はできませんでした。

*下段の写真は、ブラジル側から見たイグアスの滝です。
大小、様々な滝があって、2日間にわたり、滝ばかり見ていました。
(1999年10月27日~28日)

このイグアスの滝は、世界自然遺産ですが、
10,000年前も、10,000年後も、変わらぬ景観だと思います。

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