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2019年11月30日 (土)

南米エクアドル国の首都キトの町を放浪する

 

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*上段の写真は、エクアドルの首都キト、旧市街で見た
露天商の活躍舞台です。

*下段の写真は、中央の商人は、露店を持っていないので、
一人で、子供相手にシャボン玉の玩具を売っていました。

 

 

 

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*写真は、エクアドルの首都キトの路上で、旧市街の路地で、
赤ちゃんを抱きながら、マメ類の物売りをしている女性です。

マメは、生ですから、料理しなければ、そのままでは食べられません。
とても安い食品なので、買いたい気持ちが湧いたけど、躊躇してしまいました。

このように、路上に座り込んで、物売りする女性を数十人も見かけました。

 

 

 

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*写真は、エクアドル国の首都キトの独立広場に近い路地です。
路地の両側には、露店が仰山に並んでいました。

写真の中央部には、露店を持たない商人が、商品を両手に持って、
道行く人々に声をかけていました。
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キト (Quito) は、エクアドル共和国の首都です。
赤道直下に位置しているが、アンデス山脈の中腹(標高2850メートル)にあるため
比較的涼しい。人口は、1,399,378人(2001年)です。

エクアドル国、キトの町の歴史:

キトの発祥は紀元1000年以前までさかのぼることができる。当時、その一帯は遊牧民たちの遊牧する土地であったが、その後今のキトの位置に市が開かれた。

15世紀末にはインカ帝国の支配下に置かれ、11代インカ皇帝ワイナ・カパックの母親が当地の出身だったため、帝国の第二の首都として整備されることとなる。第一の首都であるクスコからキトまでは、インカ道が通された。 しかしその後、帝国ではクスコ派とキト派との対立が深まり、ワイナ・カパックの死後、帝国は2人の息子により分けられ、ワスカルがクスコを中心に帝国の大部分を、そして、アタワルパがキトを中心に北部を収めることとなる。

その後起こった内戦で勝利を収めたアタワルパは、キトからクスコへ向かう途中、侵略してきたスペイン人の捕虜となり、処刑される。そしてキトは、スペイン軍の侵略を防ぐために、アタワルパの武将であったルミニャウィによって破壊された。

結局、インカ人の反乱は制圧され、フランシスコ・ピサロは1534年、キトへの殖民を開始。街は「サン・フランシスコ・デ・キト」と名づけられた。 地元民は改宗させられ、教会の建設などに酷使された。そしてその後300年にわたり、キトはスペインの植民地として支配されることとなる。

1800年代初頭には人口1万人を数える都市に成長していたキトだが、そのころにはスペインからの独立の気運が高まってきていた。しかしその運動は、1810年にリマから派遣されたスペイン軍により鎮圧されることになる。 だが、その後も運動は続き、救援に来たアントニオ・ホセ・デ・スクレが1822年にスペイン軍にピチンチャの戦いで勝利したことで、スペインからの独立を勝ち取り、大コロンビアの一部となる。 だが、1830年には独立し、独立したエクアドルの首都となる。

 

 

 

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写真は、大統領官邸前で、警備の歩哨と並んで立つ筆者です。

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エクアドルという国:
日本よりもひとまわり小さいエクアドルには、山あり、海あり、ジャングルあり、さらにあのダーウイン博士の愛したガラパゴス諸島までもがある。国名が示す通り赤道(=Ecuador)直下に位置し、南北約1000kmにわたって走るアンデス山脈によって、その国土をコスタ(海岸地方)、シエラ(中央アンデス地方)、オリエンテ(東部熱帯低地)という3つの気候区に分けられ、この国を訪れる人は、バラエティ豊かな気候を体験することになる。

首都キトに代表されるシエラは、中央アンデス山脈を形成する4000~6000m級の万年雪を頂いた山々に囲まれ、涼風の吹きぬける盆地が点在する。かつてアンデスのフィレンツェとも形容されたこの地方は、年間を通して春のような気候だ。

エクアドルはボリビアに次いでインディヘナの割合が高い国であり、インディヘナおよび混血のメスティソが人口の約90%を占める。しかし、民族衣装の色彩も鮮やかで、ボリビアで見かける人々とは、異なった表情を見せている。赤道直下とはいえ、変化に富んだ地形を持つエクアドルの自然は、非常に多様性に富んでいる。絶滅の危機に瀕した動植物や、エクアドルにしか生息しない動植物も数多くいる。

 

 

 

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*写真は、首都キト市、旧市街の独立広場に立つ筆者です。

この広場には、1809年8月10日の独立を記念した碑が立っていました。
旧市街セントロの中でも、ここは心臓部にあたるところです。
この独立広場を中心にして、大統領官邸、市庁舎、カテドラルがありました。

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400年の歴史を刻む旧市街(世界遺産)
キトは、ピチンチャ山(4839m)を背景に、南北17kmにわたって、
延びる細長い街です。北からノルテ(北地区、新市街)、セントロ
(中央地区、旧市街)、スール(南地区)の大きく3地区に分けられます。
セントロが一番の見どころです。コロニアル時代の面影を残す建築物が並び、
その間を石畳の道が続いています。

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