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2019年11月26日 (火)

ウズベキスタン国で、チムール皇帝の業績跡を見学する

2011年6月1日(水)の夜は、ウズベキスタンのブハラの町に宿泊しました。民宿「Amlet BB Bukhara」は、19世紀の神学校(メドレセ)の部屋を改装された客室でした。下の写真は、入口にある宿屋の表札です。
 
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下の写真は、宿屋の中庭です。宿泊客のフランス人がおしゃべりしていましたので、私も談笑に参加しました。
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下の写真は、宿屋の客室で8室あり、1泊60US$。
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下の写真は宿屋の中にある18世紀のモスク跡です。
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シャフリサーブスの町の老人たちの信仰を集めるハズラティ・イマーム・モスクがありますが、そのモスクの前に大きな木がありました。ガイド君の話では、樹齢200年以上の木とか申しておりました。 ↓
 
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↓ 下の写真は、美しい青いドームが目立つドルッティロヴァット建築群です。”瞑想の家”と呼ばれています。ティムールゆかりの建築群です。 
 
 
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↓ 下の写真は、英雄ティムールが、自分のために用意した廟(墓室)ですが、彼はサマルカンドに葬られました。
 
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次の写真は、英雄ティムール像とアク・サライ宮殿跡です。撮影した6月1日は、ウズベキスタンの「子供の日」でした。近隣の町や村から、多くの家族連れで賑わっていました。シャフリサーブス地域の民族衣装にも接して、好奇心を注ぎました。
 
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↑上の写真で中心に立つ男は、小生の放浪姿です。
 
↓下の写真は、「子供の日」に集まった近隣の善男善女ですが、イスラム教徒に対する撮影心得として、若い娘さんへのカメラ・フォーカスを避けました。
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↑ 上の写真で、真中にいる人物が、ガイド役のティムール君です。


 






シルクロードのウズベキスタンに、シャフリサーブスという町があります。シャフリサーブスは、カシュカダリア川の流れに育まれたソグディアナの古都です。古くから「ケシュ」という名で知られ、7世紀には玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)もインドへの途上に立ち寄った記録があります。しかし、何と言ってもシャフリサーブスの名を歴史に留めるのは、ここで生まれたティムールの存在です。
ティムールは、1336年、この地方を治める豪族の家に生まれました。若きティムールは此の地を地盤に頭角を現し、”世界の支配者”への道を歩んで行きました。広大な帝国を築いた後も、彼は此の故郷を忘れず、サマルカンドのものに決して引けをとらない壮大な建築群を建設していきました。”緑の町”という意味の町の名は、此の頃のオアシス都市としての豊かさを物語っています。
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次の写真は、ティムールの宮殿=アク・サライ宮殿跡の
アーチです。アク・サライとは、”白い宮殿”と言う意味ですが、実際は青と金色のタイルで装飾された宮殿でした。
 
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次の写真は、アク・サライ宮殿のアーチを遠くから撮影したものです。
 
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次の写真は、ティムールが、22歳の若さで戦死した長男のために建てた巨大な廟です。その名は、シャハンギール廟と言います。
 
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サマルカンドの町から、シャフリサーブスの町へ行く途中に、天山山脈の山々を眺めながら、移動いたしました。次の写真は、その山々の風景です。
 
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次の写真は、サマルカンドの町とシャフリサーブスの町を結ぶ街道の境界峠です。峠では、青空天井のお店(露天商)が3店もありました。干した果物類を売っていましたが、私は買いませんでした。
 
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