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2019年11月24日 (日)

ガーナ国で、昔の奴隷監獄を見学する

ガーナ国のエルミナ城=セント・ジョウージ城塞の周辺は、漁港でした。↓
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エルミナ城塞は、セント・ジョージ要塞と呼ばれています。昔、ヨーロッパの列強国は、未開地を植民地にするために、まず、先遣隊として、キリスト教の宣教師を送りこみました。そんな訳で、セント=聖、ジョウージ=宣教師の名前が付けられたと言われています。~~~~~
そのセント・ジョージ要塞の許可された各所を写真撮影しました。↓城の屋上から撮影しました。↓
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城塞内の売店です↓
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見学が終わって、外に出るときに撮影した、羽根橋です。↓掘割は二重にありました。
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<ガーナ共和国の世界遺産>
1482年にポルトガル人によって建設されたエルミナ城を始め、貿易の拠点としてヨ-ロッパ人が建設した数々の城や要塞は、その後、奴隷貿易が盛んになると、奴隷船の到着を待つ間の奴隷収容所として使用されました。その中のいくつかは、人間が人間に対して行った非人間的な行為の証として今も保存されユネスコ世界遺産に認定されています。~~~~~~~~
<エルミナ城>
エルミナ城と知られるセント・ジョージ城はヨーロッパ人によってアフリカに建設された石造建築物の中で最も古い城です。ポルトガル人は、金の豊かなこの地をミナ(鉱山)と名付け、この地を中心にして湾岸の貿易を推進しました。
<エルミナ城の歴史>
15世紀ファンテ(Fante)が居住。エルミナはフェトゥ(Fetu)とエグアフォ(Eguafo)の領地に近接。当時のガーナ沿岸部族は部族間、スーダンの民族と貿易を行う。
1418年エンリケ航海王子はアフリカ沿岸調査を派遣。調査の目的は、アフリカに豊富に存在すると考えられていた、金と象牙の採取と、インドへの南海路を確立してアラブ人を介さず直接貿易を構築、アフリカでキリスト教国家を築いていたと信じられていたプレスター・ジョンとの同盟など。
1471年アフォンソ5世治世)、エルミナに到達。ポルトガル人がヨーロッパ人で最初にゴールドコーストを発見。商人フェルナオ・ゴメス(Fernão Gomes)は近郊で発掘される金の貿易を開始。
1481年ジョアン2世 は貿易の保護を目的として砦を建設。
*1481年12月11日、建築材料の輸送のためのキャラベル船10隻と、運送船2隻が、ディオゴ・デ・アザンブージャ(Diogo de Azambuja)の指揮のもと、ポルトガルより出港。
*1482年1月19日、建築材料がエルミナに到着。クリストファー・コロンブスがこの船団に乗っていたとする学説もある。
*アザンブージャは砦の完成後、知事に任命される。
16世紀初頭、金貿易の最盛期には地球に存在する金の1/10にあたる、24,000オンスがゴールドコーストから輸出された。
*地域民はヨーロッパとの交易品を享受する一方、沿岸他部族との交易は減少した。
17世紀、São Jorge da Mina は大西洋奴隷貿易の主要交易地となる。アフリカ人ブラジルなどのポルトガル植民地に売り渡された。
1637年、エルミナ砦はオランダ人に占拠され、オランダ・ゴールドコーストの首都になる。オランダ人は大西洋奴隷貿易を継続。
1642年、オランダはポルトガル・ゴールドコーストを占領。
1957年イギリスゴールドコーストの独立を承認、管理は独立政府に移る。
1990年代、ガーナ政府により改修:Elmina Strategy 2015
 
2012年12月14日(金)、エルミナ城を見学しました。そのときに、撮影が許可された写真を掲載しました。↓の写真は、私達観光団が、これからエルミナ城=セント・ジョージ城塞へ入る場面です。
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入場する時に撮影した羽根橋の下の掘割です。↓
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