« ウズベキスタンの古都タシケントやブハラの文化施設を見学する | トップページ | 南アフリカ国ケープタウンのサッカー会場を見る »

2019年11月26日 (火)

ウズベキスタン国で、旧日本軍兵士の墓地を見て悲しむ

旧日本兵が強制労働で造った「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」を訪問しました。ここは1947年に完成した1500人収容の劇場です。内装も素晴らしく、6つの休憩ロビーは、タシケント、サマルカンド、ブハラ、ホレズム、フェルナガ、テルメズの各地域のスタイルで、レリーフが施されています。
この劇場は、第二次世界大戦後タシケントに抑留されていた旧日本兵などの抑留者に、強制労働で造らせた建物の一つです。「日本人が建てたこの劇場は、地震のときにも、びくともしなかった」というガイドさんの言葉が記憶に残っています。
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
上部の写真=劇場の建物の横に、銅板の碑文がありました。そこには、日本語で、この建物は、日本兵が造った劇場であると明記されていました。
 
 
 
下部の写真=旧日本兵が造ったオペラ・バレエ劇場の正面です。私と一緒に写っている女性はガイド役のマリアさんです。彼女は、ロシア系ウズベキスタン人です。マリアさんは、日本の大学に留学し、3年間住んでいたと言っていました。

 




タシケントの日本人墓地に行くと、日本国とウズベキスタン国の友好団体が建設した”永遠の平和と友好の誓いの碑(いしぶみ)”があった。そこには次のような碑文が刻まれていました。
 
第2次世界大戦終結50周年を記念しウズベキスタン共和国内日本人墓地の鎮魂の碑を日本とウズベキスタンの協力により建立する    1995年10月1日
 
イメージ 1
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
イメージ 6
 

 




第二次世界大戦後、ソ連に抑留され、強制労働のために此の地で没した79名の日本人が眠る「日本人墓地」を訪れました。訪れたときには、沈黙が長い時間続き、手を合わせ、涙がとめどなく流れる自分を見ました。
 
下の写真は、その墓標と記念碑、タシケント地区で亡くなられた人々の名を刻んだプレートです。
 
イメージ 1
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
イメージ 3
 


 

 

 







下の写真は、バラク・ハーン・メドレセです。16世紀シャイバニ朝のバラク・ハーンによって建てられた神学校です。ハズラティ・イマーム広場の一角にあります。
入口のアーチに描かれている美しいモザイク模様のアラビア語の文様が印象的でした。
 
イメージ 1
 
 
下の写真も、ハズラティ・イマーム広場にあるバラク・ハーン・メドレセを撮影したものです。ちかくには。コーラン博物館があり、その中には、世界最古のコーランが展示されていました
 
イメージ 2

« ウズベキスタンの古都タシケントやブハラの文化施設を見学する | トップページ | 南アフリカ国ケープタウンのサッカー会場を見る »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ウズベキスタンの古都タシケントやブハラの文化施設を見学する | トップページ | 南アフリカ国ケープタウンのサッカー会場を見る »