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2019年11月10日 (日)

画家・堀文子さんが残された名言

↓ 私が描いた堀文子氏像です ↓
 
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私は、堀文子氏を最も尊敬している画家の一人です。
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☆☆ 画家・堀文子さんの言葉を集めました。☆☆

☆身体が衰えてきますと、
誰でもが何も出来ない諦めの老人と思うでしょう。
けれども、私は知らなかったことが日に日に増えてきます。
いままで「知っている」と思っていたことが、
本当は「知らなかった」と。
それが、だんだん分ってくるのです。


☆息の絶えるまで感動していたい。


☆私の中に潜む未知の能力が
まだ芽を吹いてないんじゃないかと、

諦めきれないでいるんです。


☆現状を維持していれば無事平穏ですが、

新鮮な感動からは見捨てられるだけです。


☆反省なんてしないで、
自分のことを「バカー!」って叱るのがいちばん。
バカでいたくなければ、自分でなんとかするでしょう。


☆奢らず、誇らず、羨まず、欲を捨て、

時流をよそに脱俗を夢みて、
私は一所不在の旅を続けてきた。
 

☆自分の無能を恥じ、己との一騎打ちに終始し、
知識を退け、経験に頼らず、
心を空にして日々の感動を全身で受けたいと心掛けた。


☆肩書きを求めず、ただ一度の一生を美にひれ伏す、

何者でもない者として送ることを志してきた。


☆人を見る時も本能で、好きか嫌いかで、
損得では決めません。
地位や名誉、肩書きなんて移ろいやすいもので、
それに振り回されないようにすることです。


☆恥を笑われることの心配をしているより、
折角生きているのだから

したいことをしたいと思います。
もう時間は残りすくないのです。


☆一生は一回しかないんですよ。


☆「旅はひとり」と言う信条に従って、

言葉も出来ぬのに、海外での一人旅を続けてきた。


☆主張せず、押し付けもせず、
雲や水のように形を求めず、行方もしれない絵。
修練や努力も役立たず、定義の仕様もない。


☆私は絵で自己主張しょうという意思もなく、
名を揚げようという気も無く、

心に響く美しいものを記録しながら此処まで来た。


☆その時その時をどう生きているか、
その痕跡を絵に表すので
一貫したした画風が私にないのだ。
結果として画風が様々に変わって見えても、
それはすべて私自身なのである。


☆「絵とは?」年とともに
益々その意味も効用も解らなくなる、
この原始的行為。

言葉の助けも借りず、絵は通訳なしに時空を超えて、
人の感性と交信することができ、
その働きは自由この上ない。


☆それに耐えるだけの体力と気力がないと、
真剣に遊ぶことも出来ない。


☆人間に屈服しないためには、闘わなければなりませんが、
私は闘うのが嫌いです。そうなると、脱走するしかない。
こんな子供じみた解決をする自分を恥じながら、
私はその後も、
「闘わず屈服せず」という姿勢で、生きてしまいました。


☆吹雪となって花は散っていった。
すべてが夢か幻だったように。
どんなに惜しんでも、時の流れのなかに
かき消えていかねばならぬ花の命のはかなさを、
私達は己の行く末の姿として見据えているのではないか。


☆生きるものはやがて死に、会うものは別れ、

財宝も名利も仮の世の一時の驕りであることが
否応なく見えて来る今日この頃である。


☆此の先、どんなことに驚き熱中するのか。

私の中の未知の何かが芽を吹くかもしれないと、
これからの初体験に期待がわく、
私にはもう老年に甘えている暇などないのだ。


☆私も機嫌よく死にたい。
生き生きと死にたいということは、
沢山の先輩から学びました。
そういう方がこの世からどんどん消えてゆきます。


☆死は、人間に課せられた一度きりの初体験であり、

誰の真似もできず、誰の助けを借りることも出来ない。
私が、これから、どのような過程で死を迎えるのか、
私は私の成り行きを眺めるつもりである。

 

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