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2019年12月

2019年12月30日 (月)

お陰様で・・・

お陰様で

来年は、私は、87歳を迎えます。

ありがとうございます。

 

2019年12月29日 (日)

浮世で生きる老人の美学

☆ 浮世に生きる老人の美学 ☆


 

 

 


  私は老いぼれですが、
    さわやかに生きてゆきます ♪


  私は老いぼれですが、
    しなやかに生きてゆきます ♪


  私は老いぼれですが、
    したたかに生きてゆきます ♪

 

2019年12月28日 (土)

脱俗の里程標

☆ 脱俗の里程標 ☆


 


 自然の風景は、刻々、変化します
 私の心境も、時々、変化します

 私は脱俗を試みるも、未だ
 多少の欲望が残滓しています

 金銭や名声への欲望は消失しています
 競争・ゲームの世界を忌避しています
 悟りの境地が遠くに潜在しています

 気力には、やる気が存在しています
 絵描きへの気力は、充実しています
 わが好奇心は美学に向かっています

 

長寿への道程

☆ 長寿への道程 ☆


 

 


 私は、散策を日常の習慣にしている

 六十歳代は、平均8kmの歩行距離だった
 七十歳代は、平均6kmの歩行距離だった

 歩く速度も落ちて来た
 途中休憩が増えて来た

 登り坂を歩くのが、とても辛くなって来た
 急な下り階段を避けて通るようになった

 八十歳代は、平均5kmの距離になった
 八十五歳を過ぎて、平均4kmになった

 肉体の老化は、確実に進行し続けている
 日々、徐々に老いぼれて行くのが侘しい

 この加齢の侘しさを払拭したい
 そのために、ジム通いを始めた

 いま、肉体の強化に鋭意努力している
 私は、美しい青春の心身を取り戻したい

 

2019年12月26日 (木)

老人の思惟

☆ 老人の思惟 ☆ 



 夏八月が過ぎ去った
 庭の樹木が色づき始めた。

 秋の落ち葉は、見事に美しい
 自然界に漂う摂理が見えて来る。

 私は八十歳半ば過ぎの老人になった
 しかし、心身共に、老人という意識はない。

 まだ、若い青年のような欲望が溜まっている
 その欲望は、烈火のごとく瞬間に燃えて来る。

 萌える感情を抑える理が脳裏に逍遥している
 燃え尽きる前のローソクの火炎を連想している。



2019年12月25日 (水)

変わりゆく美意識

★ 変わりゆく老人の美意識 ★


 

 



 いま、老人の私にとって、
 美術と旅行が生き甲斐になっています。

 省みれば、生まれてきた時から今日までに
 事故や病気などで、幾度となく
 「生と死」の狭間を潜り抜けてきましたが、
 未だに、世知辛い浮世で奇跡的に生きています。

 お陰様で、折角、生かされているのですから、
 心身の鍛錬を続け、日々の勉強を怠らず、
 如何なる苦難にもめげず、乗り越えて、
 青春の意気に燃えて、活動してゆくつもりです。

 老いても、再び青春期を迎える私には、
 どんな事象が待っているのか、楽しみです。
 兎も角も、100歳過ぎ迄、明るく爽やかに
 しなやかに美しく、生き続けるつもりでいます。

 

2019年12月24日 (火)

生きて、生きて、生き抜く

☆ 生きて、生きて、生き抜く ☆ 


 

 

 


 いずれ近いうちに、
 老いぼれの私に、
 死は必ず訪れて来ますが、
 自分の人生とは何か、
 死とは何か、
 それをどう考えれば良いか、
 明確に答えることが出来ません。

 万巻の書を読み、万里の道を行き、
 沢山の人生経験をしましたが、
 人生とは何か
 人間とは何か
 いまだ不可解です。

 壮大な話になりますが、
 宇宙は、とてつもなく大きいのです。
 宇宙の大きさや流れを視野に入れたら、
 人間の歴史は極めて短く、
 そして、
 人間の地球世界は、極めて小さいのです。
 一人の人間の存在は、更に小さいし、
 生きている期間は、極めて短いのです。

 此の世は、
 とかく住み難いですが、ひとり一人が
 違った自らの人生を歩んでいると思います。

 人間は、元来、孤独なもので、
 一人で生まれ、独りで死んで行きます。
 厳しさと寂しさを感じても、
 孤独な人生を過ごします。

 好奇心は旺盛ですが、
 残念ながら、
 私の生きている期間は短いのです。

 幸運にも、
 長寿100歳を超えることが出来ても、
 死にたくないです。

 辛い事や悩みは、沢山ありますが、
 兎に角も、
 生きて、生きて、生き抜きたいのです。

 

2019年12月23日 (月)

夢と希望を持って

☆ 夢と希望を持って ☆ 


 


 人生は心の旅です。
 旅は人生と同じようなものです
 人生は人との出会いと別れの物語です

 私は高齢者なりました
 身体は衰えて来ましたが、心は青春です
 老いが増すにつれて、好奇心が旺盛になりました

 私の旅は生きている限り続きます
 風の吹くままに、足の向くままに旅をします
 そして、気の向くままに、絵を描きます

 これからは、心を空にして、森羅万象に接します
 私の行く末は、まだ、捨てたものではないと信じます
 夢と希望を持って前進あるのみです

 

2019年12月22日 (日)

希望という名の旅

☆ 希望という名の旅 ☆


 

 

 

 

 


 私には夢があります
 夢は、時々、変わります
 夢は、夢です。

 私の棲家は、旅にあります。
 流れゆく時間も、人生も
 すべては、心の旅のようなものです。

  私の旅は、流れゆく雲のように、
 終わりは、本当の終わりでなく
 新たな旅の始まりです。

 私の人生は、未来の中にあり、
 夢に向かって、ゆっくりと歩む旅です。
 それは、希望と言う名の旅です。

 

2019年12月20日 (金)

夢を追い続けて

     夢を追い続けて


 


  今や、八十歳代半ばを過ぎた私は
  浮世のしがらみから抜け出して
  他者の思惑など気にせずに
  ひとり我が道を歩んでいます。

  森羅万象に、好奇心を持ち続け
  その時その時、美に感動したもの
  描きたいものを絵描きし
  命がある限り、美学を探究します。

  美にひれ伏して、勉強を怠らず
  孤独に耐えて、夢を追い続けて
  しなやかに、したたかに、爽やかに
  生きて行きたいと思っています。

2019年12月19日 (木)

旅そのものが人生か

☆ 旅そのものが人生か ☆ 


 

 

 

私の海外旅行の期間には、
1~2週間の団体旅行、2~3週間の夫婦旅行、
1~2ヶ月間のグループ旅行、そして、
約3~5ヶ月間に及ぶ一人旅もあります。

私の海外旅行の目的は、美術を学ぶ旅です。
美に対する感性を磨く旅です。
旅先の社会や文化の歴史を学ぶ旅です。
世界の人々と交流する旅です。
自分の人生を考える旅です。
畢竟するに、自分探しの旅です。

美術を探究する旅は、一人旅が最適です。
独り旅は、自由で気儘なものとは言え 孤独に加えて、 緊張と興奮に満ちた旅です。私の一人旅はバックパッカーの旅です。 それほど大きくない容積35リットルのリュックを背負って行きます。 そして、リュックの重量は、大体、6~8kgですが、両肩への加重を軽くするために、 旅行案内書は持参せず、1冊の地図を頼りに歩きます。 パステルペンやスケッチブックを携行します。不足のものは、現地調達します。

なお、身の安全のために、夜間の外出と飲酒を避けています。 宿泊先は、特に定めず行き当りばったりのホテルを利用しています。 そして、訪問先の地域で通じる言語の修得に出来るだけ努めています。

旅のコースは、予め計画し訪問先の情報を手帳に要約メモして置きます。 詳細な旅先情報は、現地の観光案内所や宿泊先で手に入れます。 それから、航空機、列車、バス、船、宿泊先などで知り合った友達などの話にも、 貴重な情報があります。

私が訪れた町の数は、数えきれず、延べ数で凡そ700箇所を超える ものです。 また、200箇所を超えるユネスコ世界遺産を訪問しています。 特に、欧州の主要都市、ロンドン、パリ、ベルリンの街には、幾度も、訪問しています。 欧州には古い栄光の歴史があり、素晴らしい文化遺産があります。 欧州の古城、城塞、寺院、宮殿、邸宅、街路などは、私にとって、楽しくなる絵画の題材です。

又、南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、オセアニアには、雄大な自然風景があります。 その自然風景は神秘的で深い感動を覚え、大自然との出会いを絵に描いています。 米国の美術館には、世界の有名絵画が展示されていました。 ニューヨークには、世界から若い芸術家が集まっていました。 そこには、新しい現代美術・モダンアートの流れがありました。 アメリカで、美術の勉強をしたい夢が湧いたほどでした。

アジア諸国には、日本文化のルーツの一端さえも発見する事が出来ます。 そして、”大東亜”各地で働く日本人の活躍ぶりに目を見張ります。 かって、太平洋戦争で大日本帝国がアジア各地を占領していたので、 日本人の私にとって、日本侵略地アジア州の旅は、強い贖罪の旅みたいなものです。

私の旅は、美術の研鑽に主力を置いていますので、 その国の主要な美術館には、 必ず、訪問することにしています。 宮殿や寺院の美術館、有名画家の美術館、 街の美術画廊にも、積極的に足を運んでいます。美術館では、 有名な美術作品を模写することもします。 又、模写に励む画学生との会話も勉強になります。 街では、偶然、無名の画家に出会い美術談義をした事もあります。 欧州の古城で、ニューヨークで活躍中の日本人画家に出会い、 旅での絵描きテクニックについて教えて頂きました。

私は好奇心が旺盛です。私は此れからも旅を続けて、 様々な風景画を描きます。そして、色々な人との出会いと交流を楽しみ、 人間の姿や感情、又、「愛と性」を絵の中で表現する事にも、 意欲的に取り組んで行きたいと思います。 加えて、動植物については、慈しみの心を込めて描くつもりです。

 

2019年12月18日 (水)

自問不答心自迷

☆ 自問不答心自迷 ☆


 


 * 人生とは何か

 * 生きる意味とは何か

 * 生きる目的とは何か

 * 神は存在するのか

 * 人間存在とは何か

 * 死とは何か

 * 死ぬとは、いかに生きると言う事なのか

 * 霊魂は、存在するのか

 * 死は不幸なことなのか
   「人間は、必ず、死ぬ」=不幸?

 * 愛とは何か

 * 友情とは何か

 * いったい幸福な生活とは何か

 * 自分は、何のために生きているのか

 * 自分は、いかに生きるべきか

2019年12月12日 (木)

岩手県の「民話のふるさと=遠野市」を訪れる

2015年10月、岩手県遠野市を訪れました。遠野市は、民話の里として、全国に知れ渡っています。なかでも、河童の伝承のある河童渕を訪れることは、私の放浪人生の念願でした。そこで、次の通り絵描きして楽しみました。
 
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カッパ淵は、岩手県遠野市にあるカッパ(河童)の伝承地。かつてカッパが多く住み、人々を驚かしたという伝説がのこる場所。全国唯一のカッパ狛犬で知られる常堅寺の裏手を流れる小川の淵をいう。淵の水辺にはカッパの神を祀った小さな祠が建っている。カッパの神は乳の神であり、乳児のある母親が母乳の出がよくなるよう祈願するとよいとされ、祠には、女性が奉納した赤い布による乳房を模ったぬいぐるみのようなものが置かれている。
 

 

 

 







2015年10月、民話の里である岩手県遠野市を訪問しました。特に興味を抱いた「河童渕」周辺を写真撮影しました。
 
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2016年10月、岩手県遠野市の風景を撮影しました。↓
 
 
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岩手県遠野市の「めがね橋=宮守川橋梁」を描きました。
 
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眼鏡橋=宮守川橋梁は2代存在し、旧橋は1915年(大正4年)に竣工し、1943年(昭和18年)に改修されて現橋となった。改修以前には釜石線の前身である岩手軽便鉄道でも使用され、石造である旧橋の橋脚も3基現存している。旧橋は宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』のモチーフにもなった。
 
所在地は、JR釜石線の宮守駅 - 柏木平駅間の、宮守駅寄りである。
 
2002年(平成14年)に土木学会選奨土木遺産に選定されている。
2009年(平成21年)2月6日には近代化産業遺産に認定され、同年4月にはNPO法人地域活性化支援センターによって恋人の聖地に認定された。


 

 

 







2016年10月に、岩手県遠野市へ旅しました。
遠野市は、柳田國男の遠野物語のもととなった町であり、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」で知られています。
 
次の絵画は「でんでら野」です。
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 「デンデラ野」は遠野市では「姥捨」または「死者の霊の行く処」を意味する。姥捨は習わしや習慣として行われていた。『遠野物語小事典』p165「デンデラ野」の項目には次のような記述がある。
一部抜粋 “『拾遺』および『聴耳』に60歳を超えた老人を捨てた場所と記されている。『物語』には蓮台野となっているが、デンデラ野はこの転訛であるともいわれる。

花巻市の宮沢賢治記念館を訪れる

2015年10月に、岩手県花巻市にある「宮沢賢治記念館」を訪れて、詩人であり童話作家でもある「宮沢賢治像」に、私は接することが出来ました。
 
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宮沢賢治は、政治性の薄いタイプに属する人間でした。良く知られた「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありあえない」(農民芸術概論綱要)という宣言にもかかわらず、国家や権力の在り方よりは、個人としての在り方を優先させるタイプの人間です。労農党へのシンパ的行動もありましたが、たとえば、徴兵をどう迎えたかを、石川啄木の場合と比べると、賢治の持つ、個人性、非政治性が浮かびあがります。非政治性が強いから、あらゆる方面への適用が可能となり、それは時の権力を含めた、あらゆる政治勢力に利用される危険性を孕むことになります。また、特定の党派からは距離を置く、ノンポリ性の強い現代の風潮に合致することにもなります。(「修羅はよみがえった」文集の投稿文から)

 

 

 







2015年10月に、岩手県の花巻市にある「宮沢賢治記念館」を、私は訪れました。そこで、宮沢賢治像を描きました。
 
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宮沢賢治は、1896年8月27日に生まれ、1933年9月21日に亡くなりました。彼は、日本の詩人であり、童話作家です。
 
 賢治は、郷土岩手に基づいた創作を行い、作品中に登場する架空の理想郷に、岩手のモチーフとして、「イーハトーブ(Ihatov)」と名付けました。
生前に刊行されたのは「春と修羅」(詩集)と、「注文の多い料理」(童話集)だけであった。そのために、無名に近い状態だった。没後に、詩人・草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていきました。
 
 
宮沢賢治記念館で、約3時間あまり、館内を見学しました。
そして、没後70年の展開をまとめた文集・書籍「修羅はよみがえった」(524ページ)を購入しました。あらためて、賢治の偉大さに触れることが出来ました。<おれは一人の修羅なのだ>と断言した詩人・宮沢賢治の魂は1933年9月に天へと飛び去った。その後の70余年間に、彼の作品と精神はどのように広く受容され、<修羅>が復活したかを明らかにする、貴重な記録文集が「修羅はよみがえった」という次の書籍となりました。
 
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