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2019年12月12日 (木)

花巻市の宮沢賢治記念館を訪れる

2015年10月に、岩手県花巻市にある「宮沢賢治記念館」を訪れて、詩人であり童話作家でもある「宮沢賢治像」に、私は接することが出来ました。
 
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宮沢賢治は、政治性の薄いタイプに属する人間でした。良く知られた「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありあえない」(農民芸術概論綱要)という宣言にもかかわらず、国家や権力の在り方よりは、個人としての在り方を優先させるタイプの人間です。労農党へのシンパ的行動もありましたが、たとえば、徴兵をどう迎えたかを、石川啄木の場合と比べると、賢治の持つ、個人性、非政治性が浮かびあがります。非政治性が強いから、あらゆる方面への適用が可能となり、それは時の権力を含めた、あらゆる政治勢力に利用される危険性を孕むことになります。また、特定の党派からは距離を置く、ノンポリ性の強い現代の風潮に合致することにもなります。(「修羅はよみがえった」文集の投稿文から)

 

 

 







2015年10月に、岩手県の花巻市にある「宮沢賢治記念館」を、私は訪れました。そこで、宮沢賢治像を描きました。
 
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宮沢賢治は、1896年8月27日に生まれ、1933年9月21日に亡くなりました。彼は、日本の詩人であり、童話作家です。
 
 賢治は、郷土岩手に基づいた創作を行い、作品中に登場する架空の理想郷に、岩手のモチーフとして、「イーハトーブ(Ihatov)」と名付けました。
生前に刊行されたのは「春と修羅」(詩集)と、「注文の多い料理」(童話集)だけであった。そのために、無名に近い状態だった。没後に、詩人・草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていきました。
 
 
宮沢賢治記念館で、約3時間あまり、館内を見学しました。
そして、没後70年の展開をまとめた文集・書籍「修羅はよみがえった」(524ページ)を購入しました。あらためて、賢治の偉大さに触れることが出来ました。<おれは一人の修羅なのだ>と断言した詩人・宮沢賢治の魂は1933年9月に天へと飛び去った。その後の70余年間に、彼の作品と精神はどのように広く受容され、<修羅>が復活したかを明らかにする、貴重な記録文集が「修羅はよみがえった」という次の書籍となりました。
 
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