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2020年4月

2020年4月28日 (火)

五月の植物画、徳島県の県花=酢橘・スダチを描く

 

( 5月度の植物画 )

★ 徳島県の県花「酢橘スダチの花」を描く ★


( 画用紙 水彩/パステル 6号 330x410mm )

「酢橘スダチ」
スダチ(酢橘、学名:Citrus sudachi)はミカン科の常緑低木ないし中高木。 徳島県原産の果物で、カボスやユコウと同じ香酸柑橘類。 名称の由来は食酢として使っていたことにちなんで、 「酢の橘」から酢橘(すたちばな)と名付けていたが、現代の一般的な呼称はスダチである。

形態・生産
花期は5月~6月頃、純白の花を咲かせ、秋頃に果実が実る。果皮が青い未熟果のうちに収穫し出荷するが、 熟すとミカンと同様に黄色くなる。旬は8月~10月で露地栽培の果実が出荷され、 香りも味わいも最もよいものとなっている。冬の11月~2月の出荷品は露地栽培したものを冷蔵して販売し、 酸味は比較的穏やかとなり、やわらかな味が楽しめる。3月~8月はハウス栽培品で、1年中入手することができる。

現在の主な産地は徳島県神山町や佐那河内村、阿南市である。 日本における収穫量は2005年が4,469 トン、2010年が5,882 トンであり、 その98%が徳島県で生産されている[5]。スダチは徳島県を代表する特産物であり、 スダチの花は1974年に徳島県の県花に指定されている。 1993年にはスダチをモチーフとした「すだちくん」という徳島県のイメージキャラクターが誕生した。


写真:徳島県の県花:酢橘スダチの花


写真:徳島県の酢橘スダチの実

 

五月の人物画、世界的有名画家=ダ・ヴィンチの自画像を描く

 

( 5月度の人物画 )

★ 画家レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像を模写する ★


左が本物(油彩)           右が模写(水彩/パステル)

(本物は、イタリア国のトリノ王宮図書館が所蔵している)

( 模写は 画用紙、水彩/パステル 6号 41x33cm )


レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンス期を代表する芸術家であり、「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」を兼ね備えた人物といい、 日本の美術史では「万能の天才」といわれている。史上最高の呼び声高い画家の一人であるとともに、人類史上もっとも多才の呼び声も高い人物である。

1452年4月15日、レオナルド・ダ・ヴィンチは、フィレンツェ共和国から、約20km程、離れたフィレンツ郊外のヴィンチ村において、 有能な公証人であったセル・ピエーロ・ダ・ヴィンチと農夫の娘であったカテリーナとの間に非嫡出子として誕生した。

1466年頃、レオナルドは、当時、フィレンツェにおいて、最も優れた工房の1つを主宰していたフィレンツェの画家で、 彫刻家でもあったヴェロッキオが、運営する工房に入門した。

画家としてのキャリア初期には、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァに仕えている。その後ローマ、ボローニャ、ヴェネツィアなどで活動し、 晩年はフランス王フランソワ1世に下賜されたフランスの邸宅で過ごした。

レオナルドは多才な人物だったが、存命中から現在にいたるまで、画家としての名声がもっとも高い。 とくに、その絵画作品中もっとも有名でもっとも多くのパロディ画が制作された肖像画『モナ・リザ』と、 もっとも多くの複製画や模写が描かれた宗教画『最後の晩餐』に比肩しうる絵画作品は、 ミケランジェロ・ブオナローティが描いた『アダムの創造』以外には存在しないといわれている。 現存するレオナルドの絵画作品は15点程度と言われており決して多くはない。 これはレオナルドが完全主義者で何度も自身の作品を破棄したこと、新たな技法の実験に時間をかけていたこと、 一つの作品を完成させるまでに長年にわたって何度も手を加える習慣があったことなどによる。 それでもなお、絵画作品、レオナルドが残したドローイングや科学に関するイラストが描かれた手稿、絵画に対する信念などは後世の芸術家へ多大な影響を与えた。 このようなレオナルドに匹敵する才能の持ち主だとされたのは、同時代人でレオナルドよりも20歳余り年少のミケランジェロ・ブオナローティだけであった。

レオナルドは科学的創造力の面でも畏敬されている。ヘリコプターや戦車の概念化、太陽エネルギーや計算機の理論、 二重船殻構造の研究、さらには初歩のプレートテクトニクス理論も理解していた。 レオナルドが構想、設計したこれらの科学技術のうち、レオナルドの存命中に実行に移されたものは僅かだったが、 自動糸巻器、針金の強度検査器といった小規模なアイディアは実用化され、製造業の黎明期をもたらした。 また、解剖学、土木工学、光学、流体力学の分野でも重要な発見をしていたが、レオナルドがこれらの発見を公表しなかったために、 後世の科学技術の発展に直接の影響を与えることはなかった。 また、発生学の研究も行っていた。更に眼を調べることで光と眼鏡の原理も解明していた。



☆レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作「モナ・リザ」を描く(模写)

左が本物(油彩)                右が模写(油彩)

( 本物は、フランス国パリ市のルーブル美術館が所蔵している )




☆レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作「最後の晩餐」を鑑賞する

修復前(イラリア国ミラノ市、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院が所蔵)

五月の風景画、ドイツ国のカッセルの音楽堂を描く

 

( 5月度の風景画 )

★ ドイツ国メルヘン街道・カッセル市の音楽堂を描く ★


( 画用紙 水彩/パステル 6号 330x410mm )

2008年3月17日に、ドイツ国のメルヘン街道にあるカッセルの町を訪問しました。
とても、美しい街でした。カッセルの市街や郊外をあちらこちらと逍遥しました。
特にヴィルヘルムヘーエ城公園にある音楽堂の風景に感動しました。

次の写真は、2008年3月17日に撮影した音楽堂の風景です。


次の写真は、2008年3月17日に撮影したグリム兄弟博物館です。



ドイツ・メルヘン街道は、ドイツ中部の街ハーナウから北部の都市ブレーメンを経てブレーマーハーフェンまでを結ぶドイツ観光街道の一つ。 グリム兄弟とその童話や伝説にゆかりの地を結ぶ観光街道で、全長約600km。始点のハーナウはグリム兄弟の生誕の地、終点ブレーメンは、 彼らの童話『ブレーメンの音楽隊』で名高い街である。元々、この2つの街を結ぶ街道が古くからあったわけではなく、 途中の70以上の街がこの街道に参加し、断片的な道路を結び合わせ観光街道として整備したもので、1975年に組織された。

カッセルは「ドイツ・メルヘン街道の首都」と呼ばれ、グリム兄弟がその生涯の大半を過ごした町として有名です。 町の中には「グリム兄弟博物館」もあり、またドクメンタ(documenta)と呼ばれる現代美術展も5年ごとに開催され、国内外から多くの観光客が訪れています。
そのカッセルに17世紀から18世紀にかけて建設されたヴィルヘルムスヘーエ城公園(Bergpark Wilhelmshoehe)があります。 この公園はバロック庭園技術を盛り込んだ美しい公園で、総面積240ヘクタールもあります。
この公園はその美しさだけでなく、頂上から大噴水池まで高低差を利用して、 水の力そのもので噴き上がる大噴水「水の芸術」というイベントが期間限定で開催されていることでも知られています。


次の写真は、メルヘン街道のカッセル市の風景の一部分です

 

生きる楽しさを感じない

 

21x

新型コロナウイルスの感染を予防するために、

毎日、自宅に籠って、外出自粛中です。

最近、生きる楽しさを感じていません。

その所為か、絵描きもしていません。

 

2020年4月 3日 (金)

四月度、風景美術展=ドイツの最古の町・トリーアの古代遺跡を描く

( 4月度の風景画 )

★ ドイツ国の最古の町、トリーアのローマ遺跡を描く ★

( 画用紙 水彩/パステル 6号 330x410mm )


地勢
モーゼル川沿いに位置するトリーアは、古代からの交通の要衝地であるとともに、 古くからフランス文化の影響を濃厚に受けていることもありドイツワイン発祥の地であり、 世界的ブランドとして有名なモーゼルワインの一大生産地である。 近隣の都市としては、約95キロ北東にコブレンツ、約40キロ西にルクセンブルクが位置する。 フランスのメスにも近い。1995年には大洪水によって大きな被害を受けている。

歴史
トリーアの起源はローマ植民市アウグスタ・トレヴェロールム(Augusta Treverorum)にあり、 紀元前に建設されたドイツで最も古い都市である。かつてローマ帝国がヨーロッパ進出の拠点とし、 「第二のローマ」と云われた。ローマ人は支配の証として、都市の建設と共に地中海文明をこの地に持ち込んだ。






私は、2007年4月24日、ドイツ国、最古の町であるトリーアを訪れました。
なお、トリーアの町は、名著「資本論」を書いたカール・マルクスの生誕地です。
そこで、カール・マルクスの生家を訪問しました。共産党が衰退しているとき、
ソヴィエト連邦の崩壊後には、中国人の観光客が多く訪れると聞きました。



「資本論」の著者カール・マルクスの肖像を描きました。






 


※ 

四月度、人物美術展=画家ピカソの自画像を模写する

 

( 4月度の人物画 )

★ 画家パブロ・ピカソの自画像を模写する ★


左が本物(油彩)           右が模写(水彩)

( 模写は 画用紙、水彩/パステル 6号 41x33cm )


パブロ・ピカソ(Pablo Picasso [ˈpaβlo piˈkaso], 1881年10月25日 - 1973年4月8日)は、 スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。 ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られる。 生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、 最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。



写真は、画家パブロ・ピカソです。



☆パブロ・ピカソの自画像を描く(模写)

左が本物(油彩)                右が模写(水彩)

( 模写は 画用紙 水彩/パステル 6号 33x41cm )



次の絵画は、パブロ・ピカソの代表的な作品「ゲルニカ」です。
この絵画は、スペイン国マドリッド市のソフィア王妃芸術センターにあります。
私は、この絵画を、1996年6月10日、このソフィア王妃芸術センターで、じっくりと鑑賞しました。


『ゲルニカ』(Guernica)は、スペインの画家パブロ・ピカソがスペイン内戦中の1937年に描いた絵画、およびそれと同じ絵柄で作られた壁画である。 ドイツ空軍のコンドル軍団によってビスカヤ県のゲルニカが受けた都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を主題としている。 20世紀を象徴する絵画であるとされ、その準備と製作に関してもっとも完全に記録されている絵画であるとされることもある。 発表当初の評価は高くなかったが、やがて反戦や抵抗のシンボルとなり、ピカソの死後にも保管場所をめぐる論争が繰り広げられた。 ゲルニカは「偉大な神が降りた」とも言われる。

1995年8月18日、私はスペイン国のゲルニカ村を見学しました。



 

4月度、植物の美術展=高知県の県花「ヤマモモの花」を描く

( 4月度の植物画 )

★ 高知県の県花「ヤマモモの花」を描く ★

( 画用紙 水彩/パステル 6号 330x410mm )

「ヤマモモの花」
分布・生育環境
中国大陸や日本を原産とし、暖地に生育し、暑さには強い。 日本では関東以南の低地や山地に自生する。本州南部以南では、 海岸や低山の乾燥した尾根など、痩せ地で森林を構成する重要樹種である。

人間との関わり
緑化を目的とする植樹に用いられることがある。古くはヤマモモがよく利用されたという。 現在では街路樹として公園や街路にも植えられる。
殖やし方は接木のほか取り木がある。雌雄異株のため結実には雄株が必要であるが、 都市部では街路樹として植栽されている雄株が随所にあるため、雌株の結実性は比較的高い。 ヤマモモの果実は鳥などに食べられ、消化された後に発芽する性質がある。
果実は甘酸っぱく生で食べられる。 野生種以外に大粒で酸味の強い瑞光や大玉で酸味の弱い森口や秀光(秀峰、平井1号)などの栽培品種があり、 農作物として栽培されている。中国では浙江省の「丁嶴梅」や広東省の「烏酥楊梅」という品種が良質で知られている。 また、ジャム、缶詰、砂糖漬け、リキュール等に加工される。
高知県ではシイラ漬漁業に使うシイラ漬の下に葉が付いたヤマモモの枝を垂らし、隠れようとする小魚を誘き寄せ、 小魚を目当てに集まってくるシイラを巻き網で捕る漁法に使われている。
高知県の県の花、徳島県の県の木、知多市、西都市、那珂川市、下松市の市の木に指定されている。 花言葉は「教訓」「ただひとりを愛する」。



写真:高知県の県花:ヤマモモの花

 

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