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2020年4月28日 (火)

五月の人物画、世界的有名画家=ダ・ヴィンチの自画像を描く

 

( 5月度の人物画 )

★ 画家レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像を模写する ★


左が本物(油彩)           右が模写(水彩/パステル)

(本物は、イタリア国のトリノ王宮図書館が所蔵している)

( 模写は 画用紙、水彩/パステル 6号 41x33cm )


レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンス期を代表する芸術家であり、「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」を兼ね備えた人物といい、 日本の美術史では「万能の天才」といわれている。史上最高の呼び声高い画家の一人であるとともに、人類史上もっとも多才の呼び声も高い人物である。

1452年4月15日、レオナルド・ダ・ヴィンチは、フィレンツェ共和国から、約20km程、離れたフィレンツ郊外のヴィンチ村において、 有能な公証人であったセル・ピエーロ・ダ・ヴィンチと農夫の娘であったカテリーナとの間に非嫡出子として誕生した。

1466年頃、レオナルドは、当時、フィレンツェにおいて、最も優れた工房の1つを主宰していたフィレンツェの画家で、 彫刻家でもあったヴェロッキオが、運営する工房に入門した。

画家としてのキャリア初期には、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァに仕えている。その後ローマ、ボローニャ、ヴェネツィアなどで活動し、 晩年はフランス王フランソワ1世に下賜されたフランスの邸宅で過ごした。

レオナルドは多才な人物だったが、存命中から現在にいたるまで、画家としての名声がもっとも高い。 とくに、その絵画作品中もっとも有名でもっとも多くのパロディ画が制作された肖像画『モナ・リザ』と、 もっとも多くの複製画や模写が描かれた宗教画『最後の晩餐』に比肩しうる絵画作品は、 ミケランジェロ・ブオナローティが描いた『アダムの創造』以外には存在しないといわれている。 現存するレオナルドの絵画作品は15点程度と言われており決して多くはない。 これはレオナルドが完全主義者で何度も自身の作品を破棄したこと、新たな技法の実験に時間をかけていたこと、 一つの作品を完成させるまでに長年にわたって何度も手を加える習慣があったことなどによる。 それでもなお、絵画作品、レオナルドが残したドローイングや科学に関するイラストが描かれた手稿、絵画に対する信念などは後世の芸術家へ多大な影響を与えた。 このようなレオナルドに匹敵する才能の持ち主だとされたのは、同時代人でレオナルドよりも20歳余り年少のミケランジェロ・ブオナローティだけであった。

レオナルドは科学的創造力の面でも畏敬されている。ヘリコプターや戦車の概念化、太陽エネルギーや計算機の理論、 二重船殻構造の研究、さらには初歩のプレートテクトニクス理論も理解していた。 レオナルドが構想、設計したこれらの科学技術のうち、レオナルドの存命中に実行に移されたものは僅かだったが、 自動糸巻器、針金の強度検査器といった小規模なアイディアは実用化され、製造業の黎明期をもたらした。 また、解剖学、土木工学、光学、流体力学の分野でも重要な発見をしていたが、レオナルドがこれらの発見を公表しなかったために、 後世の科学技術の発展に直接の影響を与えることはなかった。 また、発生学の研究も行っていた。更に眼を調べることで光と眼鏡の原理も解明していた。



☆レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作「モナ・リザ」を描く(模写)

左が本物(油彩)                右が模写(油彩)

( 本物は、フランス国パリ市のルーブル美術館が所蔵している )




☆レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作「最後の晩餐」を鑑賞する

修復前(イラリア国ミラノ市、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院が所蔵)

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